夢のアラスカ計画
さて、まったくもってカネの稼げないフリーライターになったわけだが、この時稼いだ35000円は時給換算したら恐らく700円ほどだろう。こりゃマズい、とばかりに思ったのが、アラスカに渡ることである。
私がアメリカの高校を卒業した1992年6月、高校の同級生たちはアラスカに行く計画を立てていた。彼らはすでに通う大学が決まっており、6月から9月までの3ヶ月間、まるまる空いていた。そこで彼らはアラスカ行きを検討していたのである。当時の仲間内の会話を振り返ってみよう。
Mike よぉ、アラスカに行かねぇか?
Toby なんでだ?
Mike 砂金だよ、砂金。アラスカで砂金採りをするんだよ。オレら3ヶ月も空いてるから、その間にカネ稼ぎするんだよ。
Toby 確かに、オレら時間だけはたっぷりあるもんな。
Steve オレは乗ったぞ!
Bob そりゃいいな。運転はしてやるぜ。
Toby で、いくらもらえるんだよ?
Mike 聞いて驚くなよ。
全員 (ツバを飲みこむ)
Mike なんと時給30ドルだぜ! 今、アラスカにはゴールドラッシュが来ているんだよ! 砂金を取れば毎日200ドルくらい稼げるんだぜ!
全員 やろうぜ!
Toby だよな、オレは今、マクドナルドで時給5.25ドルで働いてるから、バカバカしくなってるんだ。アラスカへ行くぜ。ところで、ジュン(私のこと)もアラスカは行くかい?
私 オレは日本に帰って大学受験をするからムリだな。
Toby そうか。まぁ、また今度会おうぜ。
18歳の時、砂金採りは諦めたのだが、あれから9年、実行に移す時が来たのかもしれない。時給30ドルを稼げるバイトである砂金採りの方が、時給700円のライター・電話番バイトよりも稼げると考えたのだ。この頃、さすがに実家には帰れなかった。というのも、私は親に何も言うことなく会社を辞めたため、えらく怒られていたのである。また、ご近所さんの手前、無職の28歳男がブラブラしていることを親は体面上容認できなかったのである。
私の実家は東京都立川市なのだが、この街でもっともエラいとされる学校は都立立川高校である。立川高校の方が東大よりも上なのだ。そして、立川高校の次にエラいとされるのが、隣町・国立市にある一橋大学である。そんな一橋に通っただけに、私は近所の人からすれば「頭の良い淳ちゃん」「親孝行な淳ちゃん」だと思われていた。そして、3000人の社員がいる博報堂に入ったことについても「まぁ~、優秀ね!」と言われ、親も悪い気はしなかったのだ。
ところが、そんな「誇りの息子(笑)」が突然無職になってしまったわけだ。そこで親が取った戦略は「息子を家に寄り付かせず、まだ働いていることにする」という偽装工作である。
「あーた! もしかして会社ば辞めたとね!」
こんな状況なだけに、親のスネをかじるわけにもいかず、かといって稼ぐ能力もない、そしてバイトをするガッツさえない性格な以上、最後の砦としてアラスカの砂金採りが頭に浮かんだのだ。話は脱線するが、会社を辞める許可が役員から出たのは2月のことだった。それから一気に退職に向かって進んでいくのだが、親には一切連絡をしていなかった。そして3月31日、最後の出社日に机の掃除をしていたら父親から電話があった。当時両親はアメリカに住んでいたのだが、父親は出張でその日に戻ってきており「メシでもどうだ?」と誘ってきたのだ。