幸福のピークは年収700万円
「確かに、機械にはそれができませんよね」
「もし21世紀の人権が単なる肉体的生存を保障するものではなく、個々人の社会的存在を保障するものまで拡大するならば、コモディティの流通に適したタテ社会よりも、お互いの思いと個人の信頼関係をベースにしたヨコ社会のほうが適しているということさ。これが変化の本質さ」
「ちょっと難しくなってきましたけど、食べ物に困らない社会になったのなら、今後はヨコ社会で承認を得て、つながりながら生きるほうがいいってことですかね」
紳士は間をおいて言った。
「豊かさとは何かな?」
「余裕……とかですか?」
「そうだね。では、幸福とは何か?」
「何だろう……」
「幸福とは一体性だ。お金の量じゃない。お金で地位は買えるが尊敬は買えない。お金の時代じゃないんだ」
「お金の時代じゃない……」
「経済学者がすでに実証しているように、幸福のピークは年収700万円で、それはどこの国でも共通さ。それ以上は稼ぎよりもストレスのほうが大きくなる」
「結婚式で会った同級生に、小さな会社の社長がいたんですけど、同じようなことを言ってました。まぁ、そいつは明らかにお金を持ってることをひけらかしていた。あまり気分のいい人間ではありませんでしたが……」
「お金は便利な言葉だけど、あくまでも匿名の数字にすぎない。お金は、言葉にできない価値を数字に換えてしまうものだからね。数字は思いを載せられない。確かにお金があれば、様々なものを手に入れたり、海外にも行ける。こんなふうに、数字は3次元(時空間)を自由に動き回る力を持っているけれど、その次元を超えることはできないんだ」
「あなたは、僕が見る限り、お金持ちのように思います」
「否定はしない」
「でも、あなたは嫌な気がしない」
「お金ができることに、たいして期待していないからだろうね」
「お金にできること?」
「せいぜい移動にタクシーを使うか、飛行機のビジネスクラスに乗るくらいだよ、あとは少し大きな家に住んで、心地よい家具に囲まれているか……。でもたくさんはない。本当に素敵なものだけだ。家も大きすぎない。それは下品なことだしね。お金ができることはそれぐらいだよ。お金は時間と空間を買うための道具としてのみ使っているよ。あとは、社会的価値のある事業への投資に使う」
「その思想が、きっとあなたの雰囲気を作り出しているんですね」
「大事なのは心、特に意識の焦点の問題のほうが大きい。焦点を変えなければ、そもそも問題を解決することはできないからね。そして矛盾に聞こえるかもしれないが、もしお金が欲しいなら、お金を配らないとね」