家族のための料理、お客さまのための料理
—— 今日は『英国一家、フランスを食べる』の著者であり、ル・コルドン・ブルー・パリ(以下、コルドン・ブルー)卒業生のマイケル・ブースさんにお越しいただきました。姉妹校であるここ、ル・コルドン・ブルー東京校のエグゼクティブ・シェフ、ギヨム・シエグレさんと、フランスの料理や文化についてぞんぶんに語っていただきたいと思います。
マイケル・ブース(以下、マイケル) よろしくおねがいします。
—— まずお聞きしたいのは、マイケルさんがコルドン・ブルーに入学した理由です。料理を批評する立場でありながら、本格的に料理を学ぼうと決意したのはどうしてでしょう?
マイケル フードジャーナリストとして答えるなら、料理の基礎を一から、学び直したかったからですね。それまでずっと痛烈に感じていたことなんですが、人様の料理をあれこれ批評する際に、後ろめたくならないためには、僕自身が料理の基礎をちゃんとマスターしていないとダメだな、と。
ギヨム・シエグレ(以下、ギヨム) なるほど、すばらしい理由ですね。では、ジャーナリストとしてではない場合は?
マイケル それは簡単で、僕は本当に食いしん坊だから(笑)。もっとおいしい料理がつくれるようになって、それを家族と一緒に味わえたら最高じゃないですか!
それまでは家でレシピ本を見ながらつくっても、完璧に再現できないのが悩みの種だったんです。もちろん著者たちの書き方が悪いわけじゃない。でも、かれらプロの料理家たちのキッチンと、読者である僕らの自宅のキッチンは、設備から何から、まるで違いますよね。レシピと同じような料理がつくれないのは当然なんです。それで、料理の「つくり方」ではなく、一度きちんと「料理の基礎そのもの」を学んで、自分自身で料理をつくろうと思いたった、というわけです。
左からマイケル・ブース、ギヨム・シグレ。
—— なぜ「フランス料理」だったんでしょう。
マイケル その話は子供時代までさかのぼります。9歳のときに家族旅行で、パリから南に2時間ほど行ったところにある村に滞在したんです。そこのオーベルジュ*で食べた料理が、もう死ぬほどおいしかった。あとになって考えると、あれはよくある郷土料理だったんですが、いまでもひと皿ひと皿、鮮明に思い出せます。
当時の僕はおそろしく好き嫌いの激しい子供で、食事どきがイヤでイヤでしょうがなかったんですが、あのディナーですべてが変わった。あの夜以来、食べること、とくにフランス料理に夢中になりました。だから大人になって、料理を学び直そうと決めたときも、自然に頭に浮かんだのはフランス料理だったんですよ。
* オーベルジュ:宿泊施設を備えたレストラン。
—— そうだったんですね! 一方のギヨムさんは、なぜフランス料理のシェフになられたんですか?
ギヨム 僕はマイケルさんよりずっと幼いころから、フランス料理を食べていました。父が数々のコンテストで優勝したフランス料理のシェフだったので、ふつうの家では出ないようなすばらしい料理が食べられたんです。
マイケル なんとうらやましい……(笑)。
ギヨム すばらしい食材がつくり手の愛情と敬意によっておいしい料理に変わるのを見ながら、僕は育ったんですね。本当においしい料理って、みんなで一緒に食べたくなるものなんです。
マイケル 僕は非常に保守的なイギリス人なので、アメリカ人みたいに面と向かって家族に「愛してる」と伝えるなんて、とてもできない人間です。だから「愛してる」と言う代わりに、そのメッセージを料理にこめて家族に伝える。それが、僕ががんばって料理をつくる一番のモチベーションなんです。
でも、ギヨムさんの場合は、一面識もないお客さんたちにも日々料理を届けるわけですよね。『英国一家、フランスを食べる』にも書いたように、フランスで一年間修業をした僕が最終的に「自分はプロの料理人には向かない」と気づいたのは、まさにその部分がネックだったからでした。この点、ギヨムさんはどういったモチベーションで料理を続けていらっしゃるんですか?
ギヨム そうだなあ……。僕の場合、「誰に料理を提供するのか」というのは実はあんまり気にしていなくて、相手を問わず、つくれる限りの料理を提供して、みなさんにシェアしてほしいと思っていますね。
マイケル なるほど。これまで多くのシェフにインタビューしてきたんですが、彼らからも、愛情と奉仕の精神で、自分の料理を広くシェアしたい、という声をよく聞きます。ギヨムさんのおっしゃったこととつながりますね。
「走る前に歩き方を学ばなくてはならない」
—— コルドン・ブルーでの日々はいかがでした?
マイケル 僕が忘れられないのは、なんといっても講師のフランス人シェフたちの「目」ですね。苛酷な戦場をくぐり抜け、地獄を見てきたかのような目つきでした。やたらと迫力のある彼らのもとで、目をカァァァッと見開いて、耳を澄まして、口をぎゅっと閉じて、9ヶ月間必死で学び続けました。あの日々はまちがいなく、僕の人生で最良の時期でした。
—— 料理において最も大切なことってなんでしょう?
ギヨム コルドン・ブルーに入学した生徒のみなさんは、初日から「卒業を目指してがんばる!」とか「上級コースに早く行きたい!」と言います。そしてオリジナルの料理を作りたがる。
でもね、料理においてもっとも重要でもっとも難しいのは、基礎テクニックなんです。
マイケル うん、僕もそう思う。料理学校はプロとして通用するレベルのテクニックを学ぶ場ですから、シェフではない僕が今でも使う技術はそんなに多くはありません。でも、今でも使っているテクニックのほとんどは、基本コースで学んだものですね。
それはたとえば、まな板が滑らないように、湿らせたキッチンペーパーを下に敷くことだったり、フォン*やジュ*のつくり方だったり……。あと肉に焼き色をつけることがどれだけ大事かとか、鍋の底にこびりついた「お焦げ」にびっくりするくらい旨味が凝縮されているということとか。そういった基礎的な技術や知識を教えてもらったことが、どんな料理本を読むよりも収穫でしたね。
* フォン:ソースの元となる出汁。
* ジュ:肉のエキスでできたソース。フォンよりも煮詰まっている。
ギヨム フランスにはMOF(フランス国家最優秀職人賞)という有名な最難関のコンテストがあります。そこでいちばん評価されるのも、基本テクニックに忠実な料理なんですよ。
正しい歩き方を知らないと腰を痛めますし、走るなんてとてもできませんよね。正しく歩くためにも、おろそかにできないのが基本テクニックなんです。
マイケル そうですね。僕自身、基礎をマスターしたからこそ、中級、上級コースの料理と正面から格闘できたように思います。
でもね、僕はどうしても盛り付けが苦手で……。盛り付けをする前に、料理を食べたくなっちゃう。
ギヨム (笑)
マイケル フランス料理には「最初に目で食べろ」という教えがあるんですが、シェフたちは僕の料理の盛り付けを見て、いつも(まずそう)という顔をしていました(笑)。
—— (笑)。他にも苦労したことはありましたか?
マイケル 試験ですね。制限時間内に料理を完成させないといけないし、経験豊かなシェフたちに試食されるわけだから、もうプレッシャーが尋常じゃない。
卒業試験でこんなことがありました。制限時間ぎりぎりまでかかって、へとへとになりながら課題料理を提出して、さあ片付けをしようとテーブルを見たら、そこにはつけあわせのアーティチョーク・チップスが転がっていた。お皿に盛るのを忘れてたんです。もう大あわてでそのチップスをひっつかんで、一目散にシェフたちの採点部屋に飛びこんで……。彼らがまさに僕の料理にフォークを伸ばそうとしたところに、「ちょっと失礼」。何食わぬ顔で、シェフたちの前に並んだお皿に、チップスをひょいひょいひょいと置きました(笑)。
ギヨム 何か言われませんでしたか?(笑)
マイケル 特に言われませんでしたが、謁見の間を出ていくときみたいに、平身低頭しながら後ずさりして部屋を出ましたね。
憧れのレストランは天国? 地獄?
マイケル 卒業後は、憧れだったパリのラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(以下、ロブション)で研修を始めたんですが、その日々はもう人生最悪で……。
ギヨム というと?
マイケル 毎朝8時には店に出て、店を上がるのは真夜中すぎ。シェフ同士の仲は険悪で、新人からベテランまでみな異常にピリピリしていて……。仕事内容について尋ねても教えてもらえないまま、僕は下ごしらえをし、お客に出す料理をつくり続けました。まるで歌詞も踊りも振り付けも何も伝えられないまま、ミュージカルの舞台に立たされたようでした(苦笑)。
ギヨム それは辛そう……。僕も17歳でロブションに研修に行きましたが、あそこで働いて、初めて学校で学んだことが役立つのだと身を持って知り、嬉しかったですよ。僕がやりたかったことはこれだ! これこそ僕の人生だ! と思いました。
おっしゃるように仕事はハードでしたが、あの頃はとにかくシェフに認められたい一心で働いて、休みの日も自宅のキッチンで包丁を握り練習していましたね。
—— 研修を通して、お二人はシェフという職業が自分に合っているのかどうかを知ったわけですね。
マイケル 僕が生徒だったのは34歳のときでしたから、体力的にも精神的にも地獄でした。ギヨムさんのように17歳でこの世界に入っていたら、何か違ったかなあ……。
後編「日本人とフランス人はDNAレベルで料理を知っている」は7/30(木)更新予定。
cakesで掲載中の『英国一家、フランスを食べる』も合わせてお楽しみください。
(場所:ル・コルドン・ブルー 東京・代官山校)