咲さんは人間リトマス紙
ドリアン助川(以下、ドリアン) 僕はね、目が色弱なんですね。大学のとき、劇団じゃ食っていけないので、いっかい就職しようかなってことで、いろいろ調べたんですよ。テレビ局とか映画制作会社とか、出版社とか新聞社とか。ところが、色弱だと受験不可だった。いまはわかんないけど、30年前っていうのはダメなのね。でね、商社くらいしか受けられるところがなくて。男の子って色弱多いので、20人いればひとりくらい色弱なんだよね。でも、そういうちょっとひどい状況があって、いやになっちゃってさ。みんないきなりスーツ着てっていうのもいやだったし(笑)。
咲セリ(以下、咲) わかります、その感じ。
ドリアン ああ、ついていけないわーって。僕は、あそこでもうドロップアウトしちゃったんだね。で、大学の卒業式の日に、いまから大手進学塾の採用面接に行くっていう友だちについていったの。そしたら「きみは何だ」って言われて、「見学です」って。「見学なんていってないで、受けなさい」って言われて、入っちゃったんですけども(笑)。一年間、会社員をやりました。僕が受け持ったのは学力的にはいちばん下のクラスでね。進学塾なんだけど、いわゆる出来ない子たちばかり受け持った。出来ない子っていうと「先公、このやろー」とか殴りかかったりとか、あなたのように家出しちゃったりとか、ドラマとかだとそういうイメージがあるけど、違うんだよね。「おい、起きてるか」「…はい」っていう感じだった。「だいじょうぶか、食ってるか」って。それがどんな反応であれ、反応があるといいんだよね。咲さんの場合は、反応がばりばりある。ひとつの言葉で心がわーと変わったり、人間リトマス試験紙みたいなところがあるでしょう。
咲 はい。ちょっとのことで怒ったり泣いたり、大変な感じで(笑)。
ドリアン それはエネルギーがあるんだよ。ご両親を擁護するつもりはないけど、そんな状況のときに何気なくかけた言葉が、あなたにとっては深い傷になってしまったりする。親はそんなつもりがなくてもね。そういう人っていうのは、大きな発見をする宿命にあるのかもね(笑)。与えられたものかもしれない。
咲 もし、与えてもらったんだったら、昔の私みたいに悩んでいる人たちに、ひとりぼっちで何もできなくて自分はダメだって苦しんでいる人に、言葉が届けばいいなあって思います。駄目な自分でも愛しちゃえれば、変われるんですよね。
ドリアン そうだよね。金子光晴っていう詩人がいてね。俺は宮沢賢治みたいなストイックな人も好きだけど、金子光晴みたいに怠惰な自分を書き続けているみたいな人も好きで。彼は戦争から息子を逃すために醤油をがんがん飲ませちゃって、半病人にさせて、終戦記念日はサンバかなんか踊ったっていうんだ(笑)。この人、お墓の下で腐っていく、それを何年か後に掘り起こして抱きしめるみたいな詩があるんだけど。
咲 すてきですね。読んでみたいです。
ドリアン ほんと、すてきなおじいちゃんでね。最後までストリップ劇場に通いつづけた人(笑)。僕はね、賢治みたいに完全に自然と一体化したなかで神経を研ぎ澄ましていく人も好きだし、超怠け者の自分を自力で肯定していく、ああいう人も好きなのね。両方、自分のなかにあるんだと思う。
「死なないで」なんて言えないけど、死なないでほしい、とは思ってしまう。
咲 自分をしょうがないって抱きしめてあげることはだいじですね。私自身、最近になって気付いたことがあるんです。わたしは「死にたかった」って思っていたんですけど、ほんとうは、「生きたい自分を許してあげてなかった」んだって。最初にわたしが死にたいって思ったときって、「こんなわたし、生まれてきてごめんなさい」っていう気持ちだったんです。わたしがいるから、父は怒るし、母は泣いてしまう。わたしさえいなければ、父は笑っているかもしれないし、母も笑っているかもしれない、そこから始まったので。死にたいっていうのは、自分の意志っていうよりも「誰かに迷惑をかけている」っていう感覚。でも、今振り返ってみると、あの時わたしはやっぱり生きたかった。でも、生きたい自分を許してあげられるだけの力がなかった。
ドリアン いまはご両親ともいい関係になれてよかったですね。
咲 はい。ここ数年は、父の日にプレゼントを贈っていたんですよ。そしたら今年は、「プレゼントも毎回迷うだろうから、今回はお好み焼きをおごってください」って父に言われたんです。で、夫といっしょに父とお好み焼きを食べて、一時間くらい何気ない話をしました。あ、父はわたしのことが好きなんだなあって思えて。母ともずっと仲良くして。ようやくわたしは、わたしのせいで親は泣いてないんだなって思えるようになりましたね。
ドリアン 死ななくてよかったね。
咲 はい。よかったなって思います。簡単に他人に「死なないで」なんて言えないんですけど、もしかしたら、そのときを生き抜いたら、笑えるときがくるかもしれない。言えないけど、死なないでほしいって思ってしまうんですよね。だから、本を書かせてもらいました。
ドリアン そうなんですね。「あん」に書かせてもらった徳江さん、ハンセン病の元患者で、ほんとうに過酷な運命を生きた人として出てきます。徳江さんが、最後の最後に聞くじゃないですか。最初は小豆の声とか、いろんな自然の声を、実は聞こえないのに無理して聞こうとしていたんです。でも、最後にほんとに雑木林の木が、「ほんとによくがんばったね、やりきったね」っていうのが聞こえる。あの物語はそれを最初に思いついたところから始まったんです。そういう声が聞こえるようにしたかった。過酷な人生を送った人たちに。人間社会のなかでは不運なことが重なったかもしれないけれども、あなたをこの世に産んだ宇宙全体からしてみると、もっともっと大事なことを宇宙はささやいていているよ、空をみてほしかったし、風を感じてほしかったし、鳥をみてほしかったし、花をみてほしかったし。そんなときに何かのささやきが聞こえてくる。よくがんばった、よくやりとげたなって。
死にたい欲望も、生命反応
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