夢を信じちゃだめですか?
岡田斗司夫(以下、岡田) たしかに夢を見させることはすべてダメだったら、極論を言えば、日本人全員、日本列島に住めなくなりますよね。地震列島と呼ばれるような場所なんだから。でも、日本には美しい四季もあるし、おいしいものもあるし、いっしょに暮らせる家族もいるし……というように、ここに住むことで得られる利益を優先し、それをたよりにして生きている。なのに、この国にはまた必ず地震が起きるから住むべきではない、と言われてもどうしようもない。
開沼博(以下、開沼) そうなりますね。原発以外にも、社会には嘘がいっぱいある。そして、嘘が全部悪いといってみてもその問題がなくなるわけではない。
岡田 じゃあ、開沼さんは原発を建設することを一概に否定はできないと考えているんだ。原発の「夢」を信じることで住民がなんらかの幸せを得られている場合に、原発のすべてを否定することはできないと。では、どういうときには原発をつくってよくて、どういうときにはつくってはだめなんでしょうか。
開沼 いや、「原発を否定すべき」=「道徳」ではないということです。「原発を否定すべき」とだけ設定したところでみんなが幸せになるわけではない。むしろそれは不幸になる人を作り出す「非道徳」なのかもしれない、という視点を忘れてはならないというのが僕の立場です。まず一般的な話をすると、「原発建設は押し付けられている」っていう見方があるけど、必ずしもそうではない。特に、ここ10年くらい、原発は、自己決定・自己責任の論理の中でつくられてきました。例えば、原発や関連施設の建設に向けた事前調査をするだけで補助金を貰えるような制度が充実してきた。補助金目当てに原発建設予定地に名乗りを上げるケースが増えてきていたんですね。
岡田 なるほど、お前らは補助金が欲しくて自分で立候補したんだからその責任は自分で負えよ、ということですね。
開沼 そうなんです。作りたい側である国も、作られたい側である地域もお互いの利害が一致している。と考えると、「おー、これは”原発をつくっていいパターン”じゃないか」とも見えます。でも、僕はそれは違うと思うんです。
岡田 どうして?
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。